インタビュー

日本舞踊を通して新しい世界を日々発見

日本舞踊坂東流師範坂東友女香寿

東京オリンピックも近づき、日本文化の素晴らしさが見直されている昨今、着物を着て舞台で踊る日本舞踊を習いたいという若い女性も増えているといいます。東京葛飾区で日々、日本舞踊の魅力を伝えている坂東友女香寿さんにお話を伺いました。

下は5歳から、上は80代まで和気あいあいと稽古を楽しむ

 東京都葛飾区東四つ木にある坂東友女香寿さんのご自宅。畳敷きのお稽古場には檜の舞台があり、ちゃぶ台にはお茶の用意もされていて、どこか懐かしい雰囲気です。友女香寿さんは、ここで週に5日、大勢のお弟子さんたちに坂東流の古典日本舞踊を教えています。

 友女香寿さんが、今は亡きお母様の跡を引き継いだのは、平成11年のこと。当時、お母様の代からのお弟子さんたちも高齢になり、体調をくずしたり、通えなくなったりした人が増えていたこともあり、その頃としてはまだ珍しかったインターネットを活用して、若い世代のお弟子さんを増やすことを決意したといいます。

「主人や家族が協力してくれて、ホームページを作成し、募集したところ、思いのほか多くの方が通ってくださるようになりました。“日本舞踊に興味があっても敷居が高くて、お金もかかりそう”“どこで習えばいいのかわからなかった”という方がたくさんいらしたのです」

 今では、下は5歳のお子さんから、上は80代まで、幅広い年代の人たちが和気あいあいとお稽古を楽しんでいます。

「今まで踊りに縁がなかった人が、踊りを通して新しい世界を発見し、お稽古を積むことでいっそう輝いてほしいと願っています。一人でも多くの方に日本舞踊の魅力を知っていただきたいので、できるだけとりかかりやすくして、仕事をしている若い女性がご自分で月謝を払って続けられるようにしていきたいと思うんです」

 片道2時間もかけて通っている人や、残業を終えて夜9時近くに駆け込んでくる人もいるそう。マンツーマンのお稽古中は緊張していても、終わってからお茶を飲んで一息入れる時間がまた楽しいと話すお弟子さんも多いといいます。

幼い頃に踊った舞台の写真がこの道で生きる覚悟をくれた

 お母様が師範だったこともあり、幼い頃から踊りに親しんできた友女香寿さんの初舞台は2歳の頃。さすがに記憶はないものの今も写真が残っているといいます。

 小学校に上がるときには、「親子だと甘えも出てなかなかうまくいかないから」と、隣町に住む姉弟子に指導をまかせたお母様。2歳の頃からずっと休むことなくお稽古を続けてきました。

「高校生の頃から、違う世界も見てみたいと思うようになり、大学時代はテニスに没頭。卒業後はテニスのインストラクターになって、1年中、日に焼けて真っ黒でした。踊りのときは顔を白く塗るから大丈夫と油断していたら、着物の裾から出る足だけおしろいを塗り忘れてしまい、黒いまま踊ってしまったことがあるんですよ(笑)。テニスは30代まで続けていましたが、その後は事務の仕事に就き、母の没後も踊りの仕事と両立させていました」

 お弟子さんが増えるにつれ、稽古日もだんだん増えてきて、さすがに両立が難しくなってきた9年前、事務の仕事は辞めて踊り一筋でいきと決めた友女香寿さん。

「きっかけになったのは、まだ10歳にもならない子どもの私が、一人前に大人の踊りを踊っている写真を見つけたことでした。それを見たとき、自分が楽しんで踊るだけで満足するのではなく、長年習い続けてきた古典舞踊の伝統をそろそろ人に伝えていかなければ申し訳ないような気持ちになったのです。不安もありましたが、やっと覚悟が決まりましたね」

踊りが上手な人はセリフも上手。お芝居の“心”を大切に

 舞踏家としては、豊富なキャリアを積んできた友女香寿さんでも、踊りを教えることについては、また別の難しさがあるといいます。

「自分が踊ることとは違い、人に教える場合は、初心者の方、ある程度技量のある方、かなり技量がある方など、それぞれに合わせて教える必要があります。もちろん、そのための演目もたくさん必要です。自分にどれくらい多くの引き出しがあるのか、いつも問われているように感じますね」

 そのため、友女香寿さん自身も、長年お世話になっている先生のもとに今も通って勉強を続けているといいます。

「いくつになっても修業あるのみ。大きな発表会もありますし、常に勉強していないと一人よがりの踊りになってしまうので、死ぬまで続けたいです」

 坂東流の踊りの特徴のひとつが「歌舞伎舞踊」と呼ばれるもの。お芝居の心を大事にした踊りが充実しているといい、セリフがある演目もありそうです。

「よく言われるのは“踊りが上手な人はセリフも上手”ということ。心というものがわかっていないと、踊りもセリフも生きてこないのでしょうね。頭では理解していてもなかなか難しいものです」

踊ることで笑顔になれればつらいことも乗り越えられる

 教室では、日頃の成果を発表する手づくりの「おさらい会」を年2回、開催しています。踊る演目や着物などを相談しながら、みんなで楽しく準備するといいます。

「母が残した扇子や、主人が手づくりした小道具や背景を利用するなど、できるだけお金をかけずに工夫するんですよ」

 お弟子さんが、それまでできなかったことをできるようになるのがとてもうれしいと話す友女香寿さん。仕事などで疲れている人から、ここに来て踊っていると無心になれて楽しい、などと聞くたびに幸せな気持ちになるといいます。

「よくお弟子さんたちに話すのは“笑顔を忘れずに”ということ。人生山あり谷ありですが、踊ることで少しでも笑顔になることができれば、どんな苦労も乗り越えられるのではないでしょうか」

  • 1. 足を揃えて立ち、扇子を身体の前、帯締めの高さに持ちます。
  • 2. 右足を少し後ろに引いて床に右ひざをつき、左ひざもついて正座します。
  • 3. 左手を床についた姿勢で、右手で扇子を身体の前に平行に置きます。
  • 4. 扇子の手前、正面に両手をつき、両ひじが床につくまでゆっくり頭を下げます。
  • 5. ゆっくり頭を上げて正座の姿勢に戻ったら、右手で扇子を取ります。

※虹色通信 2016年春 号より

日本舞踊坂東流師範

坂東友女香寿

坂東流師範 坂東勝友女の長女として誕生。2歳で初舞台に立つ。昭和49年、坂東流家元八世 坂東三津五郎より、師範として「坂東友女香寿(ばんどうゆめかず)」の芸名を許される。平成11年、私母亡き後、自宅教室を引き継ぎ「坂東友女香寿教室」を開く。現在は、教室の指導を行いながら、舞踏家として多くの舞台に立ち、第一線で活躍している。

[wl]http://www.bando-yumekazu.jp/