インタビュー

繊細なガラスワークで「忘れられなしもの」を再現

ガラス作家、HARRYS主宰土屋琴

小さな丸い輪がつながった網目模様のガラスアクセサリーはクールでありながらどこか温もりを感じます。それは、作品の原点になった枯れた花や葉にも宿る生命力が再現されているからなのかもしれません。

思いもよらない事故で吹きガラスを断念して

 その凛としたたたずまいから、ご自身のガラス作品のような繊細さや透明感を感じさせる土屋さん。しかし、さまざまな困難を乗り越えてきた芯の強さを持つ女性でもあります。

「挫折の連続なんですよ。ここまで来られたのは、本当に運がよくて人に恵まれたおかげだと思います」と話す土屋さんは、幼稚園から高校卒業まで主にイギリスとアメリカで育ちました。帰国して、有名大学に入学したものの、すぐに学校に行かなくなってしまったといいます。

「大学ではやりたいことが何もなく、日本の生活にも慣れなくて、親には反抗してばかり。帰国子女にありがちなのかもしれませんが、語学力も含めて何もかもが中途半端な気がしてとても苦しみました。そもそも自分が興味を持てることの範囲が狭く、それ以外のことには知識も少ないし、考えや気持ちを言葉にして伝えるのがとても苦手。それなのに、思ったことをそのまま口にしてしまうところもあって、周囲との軋礫が生じることもたびたび。大学をやめてからはほぽニート状態で、ぼんやり過ごしていました」

 そんなとき、たまたま見ていたテレビ番組でガラス工芸に出合います。

「その瞬間、これが私のやりたいことだと直感的に思ったんです。それからは自分でガラスの専門学校を探し、親を説得して入学しました。ガラス工芸にはさまざまな手法があるのですが、瞬時に感じたものを形にする吹きガラスが性に合っていました。卒業後はどこかのエ房に就職して職人になるつもりでいたのです」

 途中、イギリスの美大でも学び、専門学校に戻ってからは研究科に進んで作品づくりをしていた土屋さんを、卒業間際に大きなアクシデントが襲います。

「作業中の事故で腰の骨を粉砕骨折してしまったのです。奇跡的に命は助かったものの、半年以上もギプスで腰を固定したまま入院しました。その後も腰痛の後遺症に苦しみ、体力的に吹きガラスを続けることは難しいとわかりました。立ったり座ったりして動き回る職人の仕事はもう無理。どうしてこんな目にあうのかとショックで落ち込みましたね。もうガラスの道は諦めようと思ったこともあります。でも、それならば座ったままできることはないかと考え直して、授業でやったことがあるバーナーワークの道に進もうと思ったのです」

 士屋さんには、イギリスの美大に通っていたときに見つけた、忘れられないものがありました。それは、枯れて葉脈だけになった美しい落ち葉。以前、吹きガラスで似たものを作ろうとしたけれどできなかったことを思い出し、バーナーワークで再挑戦してみようと思ったのです。

バーナーワークで繊細な作品づくりを

 それからは、土屋さんの作品の大きな特長になっている網目模様をバーナーワークで作り出すことに没頭。最初の頃は全然うまくいかず、気が遠くなるほど試行錯誤を繰り返したといいます。

「この性格なので、学校の授業も興味があること以外は全然聞いていなかったこともあり、すべてが自己流。手探りで少しずつ技術をマスターしていきました」

 材料になるガラスの棒をバーナーの熱で溶かし、引っ張りながら伸ばして独特の網目を形づくつていきます。

「いくつもの小さな丸をつないで正円や球体を作っていくのはとても難しいです。最終的な大きさや形は頭の中にしかなくて、緻密な作業でその完成形に近づけていくので、すごい集中力が必要です」

  • (左) 涼しい印象のガラスですが、工房での作業は火を使うので熱い。ボロシリケイトという固いガラスを材料に使います。
  • (右上) 小さな丸をつなげて、望む形や大きさに作っていきます。
  • (右下) ピアスやヘアアクセサリー、ピンブローチなども人気。

ガラスの魅力や可能性を多くの人に伝えたい

 土屋さんの手から生み出されるネックレスやピアス、リングなどのアクセサリーは展示会などで人気を集め、今では日本のみならず海外でも販売されています。最近では、和装に合わせる帯留めなどのォーダーも増えているといいます。

「1点もののアート作品と違って、ショップなどに卸すアクセサリーは1点1点のクオリティーをすべて同じに保つことに重点を置いています。素敵なデザインを思いついても、つけやすさや割れにくさといった実用面を考慮すると商品化に踏み切れないということも……。さまざまな制約がある中で、どうやってほかとは違う魅力を出していくかということが大変でもあり、面白くもありますね。ガラスにはいろんな可能性があるし、表現方法もあります。アクセサリーに限らず、多様なものでガラスの魅力を多くの人に伝えていきたいと思っています」

※虹色通信 2017年秋 号より

ガラス作家、HARRYS主宰

土屋琴

1982年生まれ。幼稚園から高校卒業までの約12年間を海外で過ごし、2001年日本に帰国。慶応義塾大学文学部中退後、6年間ガラスを専門に学ぶ。事故で腰の骨を粉砕骨折したのを機に、吹きガラスからバーナーワークに移行。アクセサリーを中心に、キャニスターやガラスペン、額装作品などを制作。工房名の「HARRYS」はガラスの古い呼び名「破璃」から名付けた。

[ig]koto_t [wl]http://harrys.jpn.com/